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『ここに津島高女ありき』

津島市文化会館南側敷地内に『ここに津島高女ありき』の記念碑が建てられています。
大正4年(1915年)に津島町立高等女学校が開校され、大正6年に兼平の仮校舎からここ藤浪町3丁目に本校舎が完成し、愛知県立津島高等女学校→愛知県立津島東高等学校→愛知県立津島高等学校に統合の推移を辿り、昭和24年の最後の卒業式までに三千余名の卒業生を輩出した地です。
この時の旧女学校の校舎は、愛知県立津島工業高等学校(後に県立津島商工高等学校と改称→現在の県立津島北高等学校)として一時使用されたこともあり、「県立津島北高等学校発祥の地」の記念碑も一緒に建てられています。
幼い頃、校舎が取り壊された跡地は野球場として利用されていた時期があり、igakats(投稿者)は準硬式の社会人野球を見物していた覚えがあります。

撮影日:2016年09月28日